和田芳夫 病死 佐田優三のモデル 「虎に翼」 三淵嘉子の最初の夫・和田芳夫は長崎で復員後に帰らぬ人に

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三淵嘉子の最初の夫・和田芳夫が戦病死

NHK朝ドラ「虎に翼」に登場する佐田優三(仲野太賀さん)のモデルとなった、三淵嘉子の夫・和田芳夫は長崎で戦病死することになります。

日本の敗戦後に出征していた中国大陸から戻る病院船の中で体を弱らせてしまい、そのまま長崎の陸軍病院に入院することに。

和田芳夫はもともと体が弱く肋膜炎を患っていたこともあるほどです。戦局の悪化で福島に疎開していた妻の三淵嘉子(ヒロイン・猪爪寅子のモデル)は、和田芳夫が危篤状態であること知りますが、昭和21年5月に和田芳夫は亡くなります。結局、三淵嘉子は夫・和田芳夫の死に目にも会うことができませんでした。

三淵嘉子 家計のために裁判所へ

このころ、三淵嘉子は、夫以外にもすぐ下の弟・両親の合計4人の家族を亡くしていました。父・武藤貞雄が経営していた工場は軍需産業であったため操業ができなくなったにもかかわらず、3人の弟と1人息子である芳武を養わなければなりません。

弁護士の仕事はとっくの昔に開店休業状態で、夫を亡くした三淵の小さい肩に家計の負担が重くのしかかります。そんな三淵に転機が訪れます。1947年3月に東京の司法省に出向き、自分を裁判官として採用してくれないかと直談判に行ったのです。

和田芳夫の死が転機に

このとき三淵嘉子は裁判官に採用されなかったものの、同年6月に司法省民事部の嘱託職員として採用され、民法の改正作業にあたりました。この後、1948年1月に最高裁民事局への配属を経て、1949年1月に最高裁家庭局の局付事務官に任命されています。

この最高裁家庭局事務官になったことが、「虎に翼」のあらすじであるように「家庭裁判所の設立に奔走」するキャリアの始まりとなります。

和田芳夫 佐田優三のモデル

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NHK朝ドラ 虎に翼 参考文献

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