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ちむどんどんの時代 沖縄の本土復帰〜1972年5月に沖縄県として日本政府の施政下に。#本土復帰50年

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1960年代の沖縄には太平洋戦争の沖縄戦終了後、アメリカ軍の軍政を経て、アメリカ政府が後ろ盾となる琉球政府という自治組織が存在しました。

ちむどんどん(ヒロイン・黒島結菜さん)の物語が始まる当時の日本には、「沖縄県」という日本の地方自治体は存在しませんでした。

佐藤首相・ニクソン大統領の「日米共同声明」で沖縄県の日本復帰が決定

1967年11月に訪米した佐藤栄作総理大臣が、アメリカのニクソン大統領とともに発表した、「日米共同声明」において沖縄県が日本の領土として返還されることが明らかにされます。

この「日米共同声明」が発効した日が1972年5月15日です。この日から沖縄県が改めて発足し、日本政府の施政権が及ぶ地域となりました。

よってNHK朝ドラちむんどんどんが放送される2022年は、沖縄の本土復帰50年の年となります。

なおこれらの経緯については、沖縄県庁・沖縄県公文書館・コトバンクのホームページを参考にさせていただきました。

ちむどんどんが始まったころの沖縄では米ドルが使われていた

朝ドラちむどんどんのストーリーは1960年代の沖縄・やんばる地方(新しいタブで開く)から始まります。

主人公・比嘉暢子(黒島結菜さん)が生まれ住んでいた地域は、日本政府とは異なる行政・司法・立法のシステムで運営されていました。

たとえば私たちはモノやサービスを購入するときは、日本の法律に基づいてお金を使います。ですが当時の沖縄(新しいタブで開く)ではそのお金は日本円のことではなく、米ドルのことを指していました。

そこで沖縄県が日本に復帰したあと、県内に日本円が流通するよう、内地から540億円ものお金が送金されました。日本の警察官とアメリカ軍の兵士が、厳重にその警備をしている様子をうつした映像が今も残っています。

ちむどんどんの物語がスタートする時代の沖縄とは、日本にあって日本ではなかったとも言えるでしょう。