汐見圭(平埜生成さん)の妻・汐見香子(しおみきょうこ)
虎に翼で香子ちゃん(きょうこちゃん)と呼ばれる汐見圭の妻は明律大学女子部で佐田(猪爪)寅子の同級生だった崔香淑(ヒャンちゃん)のことです。崔香淑は虎に翼の第11週「女子と小人は養い難し」で偶然、寅子と再会します。
虎に翼 崔香淑とは
崔香淑が汐見圭と結婚 「汐見香子」という日本名に改名
一度は朝鮮に帰っていた崔香淑ですが、兄の崔潤哲が労働争議扇動罪の容疑で逮捕され、その事件の予審判事を担当してたのが多岐川幸四郎でした。幸いにして潤哲は罪を問われず、潤哲を通じて香淑と知り合った多岐川は、朝鮮で法律を学んでいる学生たちの手伝いを香淑に依頼しました。
その頃から多岐川の下で働いていた汐見圭は香淑と働くうちに恋仲となり、朝鮮で結婚することになりました。結婚をきっかけに香淑は「香子」という日本名を名乗るようになります。
日本の敗戦後に香子は多岐川幸四郎・夫の汐見圭と共に内地に引き揚げ
しかし日本の敗戦後、多岐川と汐見は朝鮮から引き揚げて日本に戻ることになります。そのとき香淑は汐見について行くことを決意し、夫婦で多岐川の家に居候することになりました。
寅子と再開したころは、すでに香子は汐見の子供を妊娠していましたが、かつては朝鮮人であったことを理由に周りからとやかく言われることが多くなり、家に引きこもりがちな生活になっています。
多岐川幸四郎のモデル 宇田川潤四郎は満州に赴任していた
虎に翼はフィクションですので、多岐川幸四郎・汐見圭・崔香淑(汐見香子)の関係はあくまでドラマ上の設定です。多岐川幸四郎のモデルとなった宇田川潤四郎や汐見圭のモデルとなった市川四郎や皆川邦彦に私生活上の関係が何かあったのかは分かりません。
虎に翼のネタ本とも言える「家庭裁判所物語」によると、多岐川幸四郎のモデルと考えられる宇田川潤四郎が戦前に日本の外地で現地の学生たちに法律を教えてかなり慕われており、日本の敗戦後に命からがら内地に引き揚げてきたことは事実と一致します。
命からがら満州から引き揚げた宇田川潤四郎
宇田川潤四郎が戦前にいたのは、多岐川幸四郎がいた朝鮮ではなく、満州国(現在の中国の東北地方)でした。満州の新京にある「中央司法職員訓練所」の教官として、満州や朝鮮の優秀な若者たちに法律を教えていました。宇田川は単に法律を教えるのが上手かっただけでなく、その若者たちを自宅に招いては酒や食事を振る舞っていたそうで、彼らからは兄貴分のように慕われていたようです。
1945年8月の日本の敗戦によって満州国は消滅し、同国の各地に赴任していた日本の裁判官はソ連軍によって次々と逮捕されますが、宇田川は家族と共に日本の内地に命からがら帰国することができました。宇田川が他の裁判官と違って逃げ切ることができたのは、訓練所を卒業した学生たちが中国共産党の幹部や新京市の市長などの要職に就任しており、宇田川の逃走をかばってくれたからです。
宇田川とその家族は「教え子たち」からソ連兵による捜索情報を事前に教えてもらっては自宅から逃げ、ほとぼりが覚めると自宅に戻るという生活を繰り返し、1946(昭和21)年6月には汚い服装に変装しつつ、ついに新京から家族揃って脱出することに成功します。
多岐川幸四郎と宇田川潤四郎との共通点
このように虎に翼に登場する多岐川幸四郎の戦前の体験は、実在した宇田川潤四郎が戦前に経験したこととは全く同じでありませんが、
- 戦前で日本の外地に赴任していた
- 現地の若者に法律を教えて慕われていた
- 日本の敗戦に伴って内地に引き揚げてきた
という3つの点について共通点があるようです。ただ宇田川が日本に帰国する際に、崔香淑のような朝鮮人を伴っていたかどうかは分かりません。「家庭裁判所物語」では宇田川は本人と家族だけで、日本に戻ってきています。おそらく「多岐川幸四郎は汐見圭と汐見香子と帰国した」という設定は、虎に翼の制作陣が設定したフィクションであると考えられます。