徳川宗家を守り通した、天璋院篤姫(宮﨑あおいさん)の明治以降の生活が描かれる「篤姫」最終回は、実の母・お幸(樋口可南子)との再会、幼き日の友・小松帯刀(肝付尚五郎・瑛太さん)さんとの死別・大久保利通(正助・原田泰造さん)の暗殺・西郷隆盛(吉之助・小澤征悦さん)の自刃など、かつては身近だったが人たちの最後が描かれる回でもあります。
天璋院篤姫は千駄ヶ谷の徳川家達邸で死去。享年49
また天璋院篤姫自身も、江戸城大奥を退去した後は、一橋邸、青山・紀州藩邸、戸山・尾張藩邸、赤坂・相良邸、千駄ヶ谷の徳川家達邸と目まぐるしく住居を変えます。
最後にはその千駄ヶ谷の屋敷で1883(明治16)年に49歳の天寿を全うすることになり、NHK大河ドラマ「篤姫」の最終回「一本の道」が終了します。
ちなみに「篤姫 完結編―NHK大河ドラマ・ストーリー」によると天璋院篤姫が天に召されるシーンでは、大量のドライアイスが持ち込まれたとのこと。
徳川家達・泰子を養育した天璋院篤姫
天璋院篤姫といえば明治維新の世に徳川宗家を最後まで守り抜いたことで有名ですが、明治維新以降は徳川宗家の繁栄を誰よりも願った人物でもありました。
明治5年には天璋院篤姫たっての願いで近衞忠房の娘で当時まだ6歳だった泰子と、10歳の家達との縁組を決め、泰子を千駄ヶ谷の邸に引き取ることを決めました。
泰子を引き取ってからの天璋院はますます多忙を極め、子供たちの行儀作法から手習に至るまで自ら気を配っていたと言います。その甲斐あって天璋院篤姫の最晩年である明治16年には、21歳の家達(田安亀之助・吉武怜朗さん)と16歳の泰子は正式に婚儀を挙げることとなりました。
最晩年に至るまで徳川宗家の繁栄を願った天璋院篤姫
なお2人の婚儀の後には、生まれた子供は男女いずれであろうとも島津家と縁組し、静岡に住む徳川慶喜の一族との縁組を避けるよう言い渡していました。
天璋院篤姫が生きていた頃の徳川慶喜はまだ「罪人」という意識が強く、徳川家同士が縁戚関係になることは、明治政府に対する反抗の意思を示すものだったのかもしれません。
明治政府に対していかなる反抗の意思を示さないことは、天璋院篤姫が命をかけて行ったことですから、徳川家に対する彼女の並々ならぬ思いを汲み取ることができます。
NHK大河ドラマアンコール「篤姫」2023年12月4日から放送開始(参考サイト)
(参考文献)