大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に登場する、「13人」の1人に中原親能(なかはらちかよし)という官僚がいます(キャストは川島潤哉さん)。
中原親能は、源頼朝(大泉洋さん)が、罪人として伊豆国に流されていたときからすでに面識があった言われています。
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公文所(政所)の寄人で頼朝と政子の娘を宮中に嫁がせることを計画
中原親能は、鎌倉幕府創設期のころに公文所(後の政所。今で言うところの中央省庁)の寄人(職員)として政治に参加していたそうです。
また公益社団法人鎌倉市観光協会のホームページによると、親能は頼朝と北条政子(小池栄子さん)の娘である三幡を天皇に嫁がせようとしていたとのこと。
ですがその三幡は14歳の若さでこの世を去ってしまったため、源氏の血筋を宮中に入れる計画は頓挫してしまったあと、中原親能は自ら出家ししました。
中原親能が出家した理由は何だったのか?
「鎌倉殿の13人」でまだキャストが紹介されていない他の3人(八田知家・足立遠元・二階堂行政)と比べると、なぜか中原親能だけが生まれた年(1143年)も亡くなった年(1209年)もはっきりしています。
- 鎌倉殿の13人と八田知家〜常陸国の守護。曽我兄弟の敵討ちを利用して警察・軍事長官の地位を確保
- 鎌倉殿の13人と足立遠元(あだちとおもと)〜武蔵国足立郡を支配、公文所・政所(内閣府・財務省など)でも活躍
- 鎌倉殿の13人と二階堂行政〜鎌倉幕府の政所別当。永福寺の「二階堂」の近くに住むから「二階堂氏」を名乗る
初期の鎌倉幕府では一旦権力を手にした権力を話すときは、出家でもしないとまともに生き残れないほど過酷な争いがあったのでしょうか。
NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、中原親能の引き際をどのように描くのでしょうか。