家庭裁判所の父 初代最高裁判所家庭局局長がモデル
虎に翼のタッキーとは家庭裁判所設立準備室室長の多岐川幸四郎(滝藤賢一)のことです。少年問題に熱心な様子に感心した、判事の久藤頼安(ライアン)がつけたあだ名でもあります。
このタッキーこと多岐川幸四郎のモデルとなっている人物は、実在した最高裁判所初代家庭局局長の宇田川潤四郎です。のちに「家庭裁判所の父」と呼ばれる人物です。
ライアンとは 久藤頼安 内藤頼博がモデル
チョビ髭の愉快そうなおじさんの多岐川幸四郎(宇田川潤四郎)
多岐川幸四郎は「タッキー」呼ばれる以外にも、チョビ髭をしているのが特徴的なこともあって、佐田寅子からは「チョビ髭」や「チョビ髭判事」と思われているようです。
実際の宇田川潤四郎は刈り上げた頭に丸顔でチョビ髭であった容貌であったため、京都でBBS(Big Brothers and Sisters Movement)運動に取り組む学生からも「愉快そうなおじさん」に見えたと言われています。
宇田川潤四郎と内藤頼博のエピソード
虎に翼で久藤頼安は多岐川幸四郎を少年問題に熱心な人物であると表現していますが、この話にはある程度の裏付けがあります。以降は「虎に翼」の元ネタ本とも言える「家庭裁判所物語」の内容を参考にさせていただきます。
殿様判事 内藤頼博のニューヨーク視察を聞き出す宇田川潤四郎
昭和24年1月1日付で発足した最高裁判所家庭局の初代家庭局長に就任した宇田川潤四郎は前任地の京都(京都少年審判所所長)から上京してすぐに「殿様判事」こと内藤頼博の元に通っています。
家庭裁判所をどう整備するかという問題は、太平洋戦争が始まる前の1940(昭和15)年にアメリカ・ニューヨークの家庭裁判所を視察した内藤頼博のアイデアに頼るべきところが大きいと考えたからです。
最高裁判所家庭局局長と言っても何を始めたらいいのか分からない状態で制度設計の青写真を書いたのは宇田川潤四郎だけでなく、内藤頼博のアイデアや考えに依るところも大きかったと考えられます。
宇田川潤四郎の家裁の五性格(家庭裁判所に必要な五大基本性格)
当時、宇田川は川崎に居を構えており、たびたび内藤を川崎の自宅に連れ帰って連れ帰っていた連れ帰っていたと言います。内藤が語る理想論を、酒を飲みながら目を輝かせて聞く宇田川潤四郎の姿を見ていた、宇田川の長男である潔氏は2人はとても仲が良さそうに見えたと言います。
このような経緯を経て、宇田川潤四郎は家裁の向かうべき姿を表した「家裁の五性格(家庭裁判所に必要な五大基本性格)」を発表します。
- 家庭裁判所の独立的性格
- 家庭裁判所の民主的性格
- 家庭裁判所の科学的性格
- 家庭裁判所の教育的性格
- 家庭裁判所の社会的性格
虎に翼 多岐川幸四郎が目指すファミリーコート
虎に翼で「ライアン」こと久藤頼安が、多岐川幸四郎を「タッキー」と呼んでいるのはこうした2人のエピソードから来ているのではないでしょうか。
虎に翼では佐田寅子は短期間のうちに戦前からあった少年審判所と家事審判所を合併させることに疑問を呈します(合併できなかったら自分が裁判官に任官されないのではないのかという不信もあったため)。しかし多岐川幸四郎は佐田寅子の覚悟の足らなさを一喝します。
そして佐田寅子の前の上司であった「ライアン」こと久藤頼安のもとに連れて行き、アメリカの家庭裁判所がいかに市民に開かれているかを説明するように頼みます。多岐川は「我々が目指すファミリーコード(家庭裁判所)」というものをライアンに佐田寅子の精神に叩き込んで欲しかったのです。
このとき久藤頼安が佐田寅子に話をした内容は、実在した宇田川潤四郎が発表した「家裁の五性格」を表したものであると考えられます。