家事審判所と少年審判所が合併して家庭裁判所に
「虎に翼」の家庭裁判所設立準備室室長(のちの最高裁家庭局局長)の多岐川幸四郎(滝藤賢一さん)が言う「愛の裁判所」とは、戦後の日本が目指すべき家庭裁判所のことを指します。
多岐川幸四郎とは? 宇田川潤四郎がモデル
多岐川幸四郎の信念 「家庭裁判所とは愛の裁判所」
戦後直後にできた裁判所が管轄する家事審判所と、検察が管轄する少年審判所を合併させて新しく家庭裁判所が設立されようとしたとき、合併予定の関係者同士で大いに揉めます。特に険悪な雰囲気なのは、東京少年審判所所長の壇と、東京家事審判所所長の浦野です。
しかし多岐川は「家庭裁判所とは愛の裁判所である」と言う信念に基づき、誰もが気軽に訪れることができる、生活に根付いた温かな愛に溢れる裁判所になると説得します。
家庭裁判所を「愛の裁判所」と表現するのはいかにもドラマで出てきそうなセリフです。多岐川幸四郎のモデルと考えられ、「家庭裁判所の父」とも言われる宇田川潤四郎は家庭裁判所のことをどのように考えていたのでしょうか。ここからは虎に翼の「ネタ本」とも言える「家庭裁判所物語」の記述を参考にさせていただきます。
宇田川潤四郎 家庭裁判所への信念は?
実は実在した宇田川潤四郎も家庭裁判所は「愛の裁判所」であると、大真面目に考えていたようです。しかもラジオの放送を使って「愛の裁判所」と言う言葉を広めていました。
1949(昭和24)年4月19日の午後1時にNHKラジオ「婦人の時間」と言う番組で、家庭裁判所が特集されました。司会は翻訳家で児童文学者の村岡花子(朝ドラ「花子とアン」のヒロインのモデルとなった人物で)です。
宇田川潤四郎と村岡花子 「愛の裁判所」をラジオで連呼
宇田川潤四郎と村岡花子とのやりとりは今でも最高裁判所の記録に残っています。
宇田川: 要するに家庭裁判所は、愛の手で少年を救い、家庭を守る愛の裁判所です。国民の裁判所です。
[家庭裁判所物語 第二章「家庭裁判所の船出」 五村岡花子との対談より]
村岡: そうでございますね。愛の裁判所。国民の裁判所、確かに家庭裁判所は愛の裁判所、国民の裁判所ですね
宇田川潤四郎が熱弁を振るい、家庭裁判所のことにも詳しい村岡花子が「愛の裁判所、愛の裁判所」と繰り返す掛け合いにはユーモアが滲んでいたようです。
愛の裁判所から家裁の五性格に
さらに虎に翼で多岐川が発した「愛の裁判所」はもちろん掛け声に終わりません。のちに家庭裁判所が発足した当初に、家庭裁判所のあるべき姿を表した「家裁の五性格(家庭裁判所に必要な五大基本性格)」のうち、4番目の性格である「家庭裁判所の教育的性格」に反映されています。
「市区町村の役場、検察庁、警察署、そして厚生施設、子供たちにまつわる機関すべて、そのぜぇんぶと綿密な連携を保持することが絶対に必要なのです!なぜなら家庭裁判所は人を裁くのではなく、人間と社会に愛を注ぐ存在……つまり?」多岐川と目が合い、寅子が自信なさげに「……愛の裁判所?」と答える。
「そう!愛の裁判所だからなのです!この五つの性格が運用にあたりまして十二分に発揮せられんことを切に希望してやまないのであります!
NHK連続テレビ小説 虎に翼 上 (pp.276-277). Kindle 版
多岐川潤四郎の「家裁の五性格」のモデルは宇田川潤四郎の「家裁の五性格」
ちなみに虎に翼の多岐川潤四郎が考えた「家裁の五性格」とは、モデルの宇田川潤四郎が考えた「家裁の五性格」に基づいていると考えられます。宇田川潤四郎が考えた「家裁の五性格」にも4番目に家庭裁判所の教育的性格がかかげられています。
―第四は、家庭裁判所の「教育的性格」であります。家庭事件は家事審判、少年審判を通じて、一面事務的性格を持っていることはもちろんでありますが、他面教育的性格を多分に包含するのであります。したがって、少年審判に関与する職員は、自ら真摯な教育者としての自覚を持たなければならないと考えるのであります
清永 聡. 家庭裁判所物語 (Japanese Edition) (p.80). Kindle 版.
こうした宇田川潤四郎はこうした考え方をのちに「ソシアル・ケースワーク」と呼び、現在の「ケースワーク」あるいは「ケースワーク機能」と呼ばれるものにつながっていきます。