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NHK大河ドラマ 「西郷どん 第21回 別れの唄 」感想 ~「150年前の中世社会」 #西郷どん #せごどん

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一蔵どん(瑛太さん)の周旋のおかげでとうとう藩からの召喚命令が出た吉之助。ですがその裏には愛加那・菊次郎をはじめとした島の人々との哀しい別れが…。

幕末史を知っている方であれば、吉之助は薩摩に戻ることは分かっている話ですが、なんとも切ない回でしたね。鈴木亮平さん・二階堂ふみさんは俳優として演じるのは難しい場面だったかと推察します。

ところで今回の話で自分が注目したのは、吉之助と愛加那の哀しい別れの話だけではありません。近世の人々の考え方や産業の時代考証についても大変興味深い回でした。

「菊太郎」と「菊次郎」

吉之助と愛加那は初めて授かった子に当初は「菊太郎」と名付けようとします。ですが佐民おじ(柄本明さん)は、吉之助が「いずれ薩摩に帰る人だから」とはばかって「菊次郎」とするように強く説得します。

「一番目の男の子は太郎で、二番目の男の子は次郎とするべきっていつの時代の話やねん」という感じがしますね。「太郎」・「次郎」の話を持ち出すとおそらく武士の世が始まる直前の平安時代までさかのぼるのではないでしょうか。

有名どころとしては「源八幡太郎義家」・「源九郎義経」・「那須与一」が挙げられます。源義家と源義経の名前は見た通りですが、那須与一は十一男という意味です。「与一」は十あまる一、つまり十一男を示す通称のことを指します(たまに「那須余一」という表記も見かけます)。

たった150年前までは、生まれた順番や兄弟の序列で名前が決まる風潮があったことが読み取れます。

杼と飛び杼

ドラマの中で愛加那が機織り機で着物を作っているシーンがありました。今でこそ手織りの「大島紬」は日本でも指折りの高級呉服として珍重されていますが、当時としては産業とも言えないほど零細な工業であったと推測できます。

ドラマの中で二階堂さんは、布の横糸を通すときに、手で杼を使っています。手で杼を使うことは奄美大島だけでなく、日本の他の地域でも珍しいことではなかったと思います。ですが世界的に見れば、すでにイギリスでは18世紀に「飛び杼」による自動織機が使われていました。

手で杼を通すと人間が手を両腕を伸ばす程度の布しか織ることはできません。一方、飛び杼を用いると杼に車輪がつくことによって、布の横糸が遠くまで通るようになり布の幅が、手で織るときと比べて断然広くなります。

世界史に通暁されている方であれば、すでにご存知かもしれませんが、飛び杼はイギリスの発明家であるジョン・ケイが発明したものであり、イギリスにおける第一次産業革命の原点となりました。

斉彬の意志は誰が継ぐのか?

今回の感想では、当時の名前の付け方や機織りについて考察しました。近代・現代の日本から見ると、「西郷どん」のお話は13世紀の鎌倉時代に始まった武士が世の中を支配する世の中と、あまり変化がなかったように感じます。もっとも薩摩の島津家自体も鎌倉時代に興った家なんですがね。

「亡き殿」の島津斉彬とその意志を継ぐ吉之助が理想としたのは、そんな中世のような社会を変えることだったんでしょうね。次回の第22回は「偉大な兄 地ごろな弟」。同じく斉彬の意志を継ごうとする島津久光(青木崇高さん)が、吉之助の考え方とどのように対立するのか楽しみです。