楽しそうですね、とぅまどん(二階堂ふみさん)の黒砂糖作り。江戸時代の黒砂糖づくりはサトウキビを絞って、その汁を鍋で煮詰めてと。もちろんすべて手作業です。ロケの間の体験作業か本番撮影の練習かは分かりませんが、甘そうな香りがTwitterの動画越しに漂ってきそうです。
「黒糖地獄」の奄美大島
https://twitter.com/nhk_segodon/status/998035606465859584ですが本編の方ではそんな呑気なことは言ってられません。当時の大島(奄美大島)はまさしく「黒糖地獄(砂糖地獄)」です。
吉之助が藩から最初にいただいたお役目である郡方書役助の目線で大島を見ると、島民はまるで百姓として扱われていません。当時の奄美大島は、現代人の感覚からすると見るに耐えない民政であったようです。TwitterにUPされている女戦士「とぅま」さんの険しい表情が全てを物語っています
- 子どもたちは握り飯を食べたことがないどころか、米の飯の存在自体を知らない
- 島民は毒抜きをしたソテツの粥を主食としている
- 年貢を納められないと手枷・首枷をはめられて島内引き回しの刑に合う
- 規定の年貢を納めてもそれ以上の年貢を納めさせようとする島代官
- 鉄を取り寄せようにもその鉄は黒砂糖の売買で精製されているという皮肉
島代官の田中雄之介(近藤芳正さん)が藩に忠義を尽くせば尽くすほど、百姓が苦しむという複雑な社会システムが結構ショックでした。同じ日本でもたった150年前に奴隷制度が存在したのかと感じたほどです。
「大西郷」は黒糖地獄で生まれたか!?
Web上で「西郷どん」関連の記事を見ていると、たまに西郷隆盛が「大西郷」と言われる所以は、罪人として大島に流されたことから始まったとされる記事を見かけます。「西郷どん」を見る以前は、当時の奄美大島についてよく知らなかったため、その所以が分かりませんでした。
ですが「第18回 流人 菊池源吾」と「第19回 愛加那」を見ることで「大西郷」のルーツを見たような気がします。既存のルールが合ったとしても、それが人のためにならなければ何をもってしてもルールを変えねばならないという姿勢が「大西郷」の始まりではなかったのでしょうか。
番組の後半でとぅまどんを娶り、「愛」の字を与えます。西郷隆盛さんが座右の銘としたとされる「敬天愛人」の「愛」から取っていたのかもしれませんね。引き続き「第20回 正助の黒い石」にも期待です。