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月ヶ瀬藩 どこ 肥前島原藩6万5千石(深溝松平家)NHKBS時代劇「風の峠~銀漢の賦~」の月ヶ瀬藩とはどこの藩がモデルか?

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NHKBS時代劇「風の峠~銀漢の賦~」に登場する月ヶ瀬藩とは架空の藩ですが、深溝(ふこうず)松平家の肥前島原藩6万5千石がモデルとなっていると考えられます。

「銀漢の賦」における月ヶ瀬藩とはどこの藩のことか

「風の峠~銀漢の賦~」の原作小説の「銀漢の賦 (文春文庫)」(新しいタブで開く)を読むと、月ヶ瀬藩はどういう藩であるか書かれています。

月ヶ瀬藩は初代、浅川伊賀守惟茂が徳川家康の側近として蔵入地代官などを務めていた譜代で、関ヶ原の戦で軍功があったとして月ヶ瀬六万五千石の大名に取り立てられた。(7ページより)

「しかし、わが藩は長崎警備のお役があるため、老中職につくことはご遠慮するというのが慣例だと聞いておりますが」(45ページより)

つまり月ヶ瀬藩は譜代大名が治める六万五千石の藩で、長崎警備の役目を追っているということは九州に存在するということが分かります。

月ヶ瀬藩のモデルは肥前に存在した島原藩

江戸時代に実際に長崎警備の役目を担っていた藩は、福岡藩・佐賀藩・熊本藩・島原藩・平戸藩・五島藩の諸藩が担っていましたが、このうち「譜代大名で六万五千石」という条件に当てはまるのは、島原藩だけです。

島原藩は江戸時代に何度か領主が入れ替わっていますが、「銀漢の賦」は寛政年間を想定して書かれています。当時は深溝松平家が治めていたので、月ヶ瀬藩とは「深溝松平家が治める肥前島原藩六万五千石」がモデルになっていると考えられます。

風の峠~銀漢の賦~ 参考書籍