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【読書感想】増補 普通の人びと: ホロコーストと第101警察予備大隊 (ちくま学芸文庫 (フ-42-1))

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「増補 普通の人びと: ホロコーストと第101警察予備大隊 (ちくま学芸文庫 (フ-42-1))」(新しいタブで開く)で登場する隊員たちはナチスの狂信者ではありません。それどころか彼らは任地に赴くまでは銃の引き金を引いたことさえありませんでした。

本書はいわゆる「ふつうのおっさん」がどういう心理を経て、「大量殺戮」に加担できるようになるかを克明に描いた心理実験の記録でしょう。もちろん絶対に二度とやってはいけないことであり、とても「実験」などと呼べるシロモノではありませんが。

「大量殺戮」を「財産収奪」に置き換える

「普通の人びと」で重要な点は、第101警察予備大隊の行為が決して遠い外国の昔話で済ませられないことです。第101警察予備大隊が行った行為である「大量殺戮」を「財産収奪」に置き換えると今の日本でも行われていると言わざるをえません。下記の例は自分が定期的に購読している「市況かぶ全力2階建」からの引用です。

仲間うちで村八分にされたくないから、異様な営業ノルマを達成しなければならない。自分で詐欺まがいの商品を売らなかったら、仲間に汚れ仕事を引き受けさせてしまう。普通の人びとは良心の呵責に耐えられなくなり、

客を隠語で呼び捨てモノ扱いする。第二次世界大戦時のドイツ人も現代の日本人も根は同じ人間であるということでしょう。

逃げるところを確保しておくことの重要性

「普通の人びと」は読んでいてまったく救いがないと感じる本です。ただページを進めていくと仲間うちで第101警察予備大隊が「大量殺戮」に手を染めた場所は、故郷から遠く離れた外国で行われたことに気がつきます。

隊員は大隊の仲間から見放されてしまうとどこにも頼るところところがないために、ナチスドイツの残虐行為に手を貸してしまったということが文脈上から読めます。逆に大隊以外に頼るところがあれば、手抜きの「大量殺戮」が行われていたかもしれません。

ナチスドイツからみる現代日本の教訓

本文中では「大量殺戮」の任に耐えないと思った隊員は、本国のドイツに送り返してもらうよう上官にかけ合っている場面が何度も出てきます。現代の日本で言えば、コンプライアンス無視・パワハラ上等な職場から逃げるためには、どこにでも転職できる雇用の流動性が必要であると言ったところでしょうか。

なお、「普通の人びと」では第101警察予備大隊の隊員が「大量殺戮」を実行するにあたって、読むに耐えない描写が頻出します。もしこの記事を読んで興味を持たれた方は心身が健康なときに読むことをおすすめします。