結論から言うと仕事と家庭は(ほとんど)「両立できない」とのことです。例外的に「両立する」スーパーマンかスーパーウーマンがいるらしいですが。では「家庭」の運営は、「専業主婦」か「専業主夫」が担うべきのでしょうか?それもNOだそうです。
政府の取るべき態度
ネタバレになりますが、著者は「競争経済(仕事)」と「ケア経済(育児・介護)」に同等の価値をおくべきと唱えています。法律制度の改革や雇用慣行の改革について、著書独自の具体的な策は書かれていません。個別の企業で「両立」に向けてどう言う取り組みをしているか、ミクロ的な事例が紹介されているだけです。
個人的には著者がマクロ的な具体案を出さないことについて、特にdisるつもりはありません。政府は仕事と家庭の両立について、むしろ中立的な態度を示すことが望ましいと考えています(給与所得の配偶者控除制度や国民年金3号被保険者制度の廃止など)。
ちなみにアメリカでは政府が補助金を出して運営する保育園や、日本のような国民皆保険制度はありません。自分のことは自分ですると言う雰囲気です。
ケア経済は本当のお値段が分からないことが問題
ただし、「ケア経済」をそのまま「競争経済」に持ち込めば良いかと言えば、それもよろしくないと考えています。
育児・介護については長らく「家事」とされ、他の仕事と同等の価値があると見なされない慣行が歴史的に長らく続いてきました。日本で言えば2000年になって介護保険制度が誕生し、ようやく介護が「家事」ではなく「社会の仕事」と認知されたのがその良い例でしょう。
「ケア経済」は長らく市場経済に晒されていなかったので、「競争経済」に対して競争力が劣後すると思います。従って保育も介護もたいていは公定価格が決められていて、サービスの購入者が妥当だと思う価格(市場価格)がはっきりと分かりません。
市場価格が分からないと、いつまで経っても家庭の仕事は専業主婦か専業主夫が担うべきかどうかという、分かったようで分からない価値観がいつまで経っても蔓延します。社会全体としての落としどころは一向に見えないでしょう。
育児・介護クーポンを配ったら?
「落としどころは見えない」と言ってしまうと、せっかく記事を読んでくださって皆様に対して申し訳がないので、私論を述べます。サービス供給者である介護事業者や保育園に対して補助金や介護報酬を渡すのではなく、サービスの需要者に対して介護・育児クーポンを配って、みんなで市場価格を決めてもらうというのはどうでしょうか?
そうするとサービス供給者は、サービス提供に必要な金額をはっきりとした金額を表示せざるを得ません。その金額について「高い・安い」を決めるのは、サービスの受け手です。それに伴ってサービス従事者の報酬も、他の仕事と「お金」という価値尺度ではっきりと測ることができます。
その客観的な「お金」で価値を測れば、「ケア経済(育児・介護)」のどれぐらい価値があるか相対的に分かるようになるでしょう。そうすると「仕事(家事)は男(女)がやるべき」といった意味が込められた、「専業主婦」や「専業主夫」といった社会全体で何となく共有されている価値観はうすらぐと考えます。