2017年7月4日のNHK「おはよう日本」でこんな報道がされていました。
NHKが、都道府県と政令指定都市、合わせて67の教育委員会に取材したところ、今年(2017年)4月の始業式時点で、半数近い32の教育委員会で、定数に対して、少なくとも717人もの教員が不足していたことが明らかになりました。
どうやら第一線の教育現場は、既存の教科を維持するのも困難な状況のようです。現場の先生方は限られたリソースで、新たにプログラミング教育に取り組んで試行錯誤されている様子が容易に想像がつきます。その工夫と努力には、読んでいて本当に頭が下がる思いがしました。新たな取り組みで、心身のバランスを崩して体調を壊されないことを祈るばかりです。
「プログラミング的思考」を突き詰めると…
と言っても自分が何回も繰り返し読んだところは、先生方のケーススタディではありません。文部科学省が出している「新・学習指導要領」とその解説部分です。P27では文科省が作ったスライドの抜粋があります。そこでバズワードである「プログラミング的思考」についてこのような説明がされています。
自分が意図する一連の活動を実現するために、どのように動きの組み合わせ必要であり、一つ一つの動きに対応した記号をどのように組み合わせたらいいのか、記号の組み合わせをどのように改善していけば、より意図した活動に近づくのか、といったことを論理的に考えていく力。
もし自分が文部科学省に勤めている職員であれば、こんな資料は作ってほしくありません。なぜなら自分の存在と言っていることが矛盾するからです。子どもに「プログラミグ的思考」を身につけられてしまうと、文部科学省の存在意義が問われます。自分の職場そのものが消えてなくなるかもしれません。
「上り詰めた梯子は投げ捨てられねばならない」
前述の内容はちょっと皮肉を込めた言い方ですが、ある読書友だちの方から学校と生徒の関係についてこんな言葉を教えていただきました。
上り詰めた梯子は投げ捨てられねばならない
2014~15年に放映された、NHK連続テレビ小説「花子とアン」でそれらしきエピソードが語られていたそうです。また、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインが書いた論理哲学論考 (岩波文庫)の結びはこのようにしめられていることも教えてもらいました。
(読者は,いうなれば,梯子を登りきったのち,それを投げ捨てなければならない.)/読者はこの書物を乗り越えなければならない.そのときかれは,世界を正しく見るのだ.語りえぬものについては,沈黙しなければならない.
要は、言い出しっぺの文部科学省は「梯子」として投げ捨てられても良いから、それでもプログラミング教育を推進したいんですか?ということです。この本で紹介されている「新・学習指導要領」の抜粋とその解説文を読んでいる限り、そんな覚悟は全く感じられません。
私はプログラミング教育自体は否定しません。むしろプログラミング教育の裾野が広がってほしいと思います。あとは現場の先生方が、体を壊さない程度に奮闘してもらうことを願って止みません。
【参考サイト】