判事補の職権の特例等に関する法律にもとづく特例判事補制度
虎に翼 「第13週 女房は掃きだめから拾え?」で佐田寅子は、1949年春に特例判事補になります。小説「虎に翼」の言葉を借りると、特例判事補とは人手不足のために作られた制度で、その名のとおり、本来判事がする仕事を特例で行うことができるものです。
この特例判事補の制度は「判事補の職権の特例等に関する法律」に基づき、1948年7月12日以降に存在する制度で、運用が制度の発足当初と若干異なるものの、現在までも続く制度です。
最高裁判所が指名した5年以上の経験を有する判事補は単独審判ができる
判事補は原則的に単独で審判を行うことはできませんが、最高裁判所が指名した法律専門家経験が5年以上の判事補に限っては地方裁判所・家庭裁判所において判事と同様に、特例判事補が1人で審判をすることができます。
最高裁判所の資料によると、現在では法律専門家経験が5年以上という部分を7年および8年にするという運用に変える方針のようです。
「虎に翼」のネタ本とも言える「家庭裁判所物語」では、発足当時の家庭裁判所には三人の判事が1つとなす合議体で裁判を行うという考えはなく、特例判事補が1人で審判を行なっていたことを伝えています。
三淵嘉子は判事補から判事に
佐田寅子のモデルで、新潟家庭裁判所・浦和家庭裁判所・横浜家庭裁判所の所長をつとめた三淵嘉子も1949年ごろに特例判事補になったのでしょうか?三淵嘉子の場合は、1948年6月に東京地裁民事部の判事補に、1952(昭和27)年に名古屋地方裁判所で判事に任用されています。
三淵嘉子はドラマに登場する佐田寅子と違って、特例判事補になったという記録は残っていません。
佐田寅子は大庭家の争いを単独審判するかもしれなかった?
なぜ「虎に翼」では佐田寅子を「判事補」ではなく、「特例判事補」にする必要があったのでしょうか?
「第13週 女房は掃きだめから拾え?」では、大庭梅子とその家族たちが、夫・大庭徹男の遺産相続をめぐって、東京家庭裁判所に調停に現れます。大庭家は新しくなった民法の規定とは異なる遺産相続を行おうとしたため、家裁の調停委員による調停も難航し、あわや裁判による審判の一歩手前まで話がこじれます。
この大庭家の争いを担当したのが特例判事補の佐田寅子です。寅子は大庭家の家族の訴えと調停委員の調停内容を聞きながら、最終的には1人で審判をしなければならないという葛藤が始まります。
おそらくNHK朝ドラ「虎に翼」が佐田寅子を「判事補」ではなく「特例判事補」に任用した理由は、明律大学の同級生同士であった佐田寅子と大庭梅子との関わりを重視し、「葛藤」をより際立たせて表現したかったのではないでしょうか。