笠置シヅ子さんには男の兄弟がいました。兄の頼一・正雄の他に弟の八郎と合計7人。すべて男性です。この7人の男性のうち20歳を超えて、生き残ったのは弟(正確には義弟)の亀井八郎さんのたった1人でした。
「ブギウギ」花田六郎モデルの亀井八郎さんは24歳の若さで散る
ですが八郎さんは1938(昭和13)に香川県・丸亀にある連隊で徴兵されます。太平洋戦争中に出征し、1941(昭和16)年に仏印(フランス領インドシナ。現在のベトナム)で戦死します。八郎さんは24歳の若さでした。
結局、亀井家に8人もいた「兄妹」のうちもっとも長生きし、子どもまでなしたのは、住友家から亀井家に養女として入籍した笠置シヅ子さんだけでした。
八郎の死後に「大空の弟」が作曲され笠置シヅ子さんが歌う
若くして亡くなった亀井八郎ですが、笠置シヅ子さんが戦時中にコンサートで歌っていた「大空の弟」という曲のモデルでもあります。作曲家の服部良一さんが若くして亡くなった八郎の死を悼み、遺族である笠置シヅ子のために作曲したといわれます。
笠置シヅ子さんは特別に反戦思想の持ち主だったわけではありませんが、こと歌に関しては軍歌をほとんど歌わなかったそうです。これは笠置シヅ子さんの感性が軍歌調のメロディに合わなかったからといわれています。
結局、笠置シヅ子さんは日中戦争・太平洋戦争の7年間の間、軍歌のジャンルに入る持ち歌は、八郎さんに捧げた「大空の弟」と「真珠湾攻撃」の2曲しかなかったと、「」で公言されています。
「ブギウギ」では花田六郎の戦死は描かれるか?
「連続テレビ小説 ブギウギ Part1 NHKドラマ・ガイド Kindle版」によると、亀井八郎さんが戦死し、死後に弟のために「大空の弟」が作曲されると言う流れは、朝ドラ「ブギウギ」のドラマの中でもしっかり反映されるようです。
六郎の戦死公報が福来スズ子の元に届けられ、すっかり落ち込んだスズ子を見て羽鳥善一が「大空の弟」を作曲するのは、第10週「開戦」でのお話です。
(参考文献)