NHK朝ドラ「ブギウギ」の花田ツは癌で死にます。花田ツヤのモデルとなった亀井うめさんも1939(昭和13)年9月11日に新町の日清病院で、胃がんと心臓の病気のために亡くなりました。
亀井うめさんは笠置シヅ子さんを鳴戸いとさんに会わせたくなかった
笠置シヅ子さんの自叙伝「笠置シヅ子自伝 歌う自画像 私のブギウギ伝記 Kindle版」によると、亀井うめさんは日清病院に入院中に、どうしても死ぬ前に一度笠置さんに会いたかったそうです。ですが東京で大活躍している笠置さんが大阪から戻れないことを悟ると、このような言葉を遺されました。
そんなら、あの子も東京でどうやらモノになったのやろ。わてはそれを土産にしてあの世に行きまっけど、わてが死に目に逢うてない子を、生みの親の死に目にも逢わせとない。わてが死んだ後、決して母が二人あることをいうておくれやすな。
笠置さんは17才のときに自分には母親が2人、生みの母と育ての母、がいることを知っていましたが、そのことを亀井うめさんには知らせていませんでした。亀井うめさんは笠置シヅ子さんを養女として、鳴戸(鳴門)いとさんから引き取ったことを隠しおおせたつもりだったようです。
それにしても育ての母の死に目を見てないのであれば、生みの母の死に目にも立ち会ってほしくないとは、亀井うめさんがかなりの「焼き餅焼き屋」だったことを偲ばせるエピソードです。
「ブギウギ」の花田ツヤも西野キヌにスズ子を会わせたくなかった
亀井うめさんの「焼き餅焼き屋」な性格は、朝ドラ「ブギウギ」の花田ツヤの性格にも反映されています。
「…お願いがあるんや。このままなにがあってもあの子をキヌには会わせんといてほしいねん。これから生きていく…ワテの知らんスズ子を、キヌが知るんは耐えられへん」(a target=”_blank” href=”https://www.amazon.co.jp/%25E9%2580%25A3%25E7%25B6%259A%25E3%2583%2586%25E3%2583%25AC%25E3%2583%2593%25E5%25B0%258F%25E8%25AA%25AC-%25E3%2583%2596%25E3%2582%25AE%25E3%2582%25A6%25E3%2582%25AE-%25EF%25BC%25B0%25EF%25BD%2581%25EF%25BD%2592%25EF%25BD%2594%25EF%25BC%2591-%25EF%25BC%25AE%25EF%25BC%25A8%25EF%25BC%25AB%25E3%2583%2589%25E3%2583%25A9%25E3%2583%259E%25E3%2583%25BB%25E3%2582%25AC%25E3%2582%25A4%25E3%2583%2589-%25E8%25B6%25B3%25E7%25AB%258B-%25E7%25B4%25B3-ebook/dp/B0CH8554XT/ref=tmm_kin_swatch_0?_encoding=UTF8&qid=1695607842&sr=8-1&_encoding=UTF8&tag=fq291164hr-22&linkCode=ur2&linkId=16bb9efa48175c0720b9d54e19860f09&camp=247&creative=1211″ rel=”noopener”>「連続テレビ小説 ブギウギ Part1 NHKドラマ・ガイド Kindle版」から引用)
母が危篤と聞いてスズ子は大阪に大急ぎで戻りますが、そのスズ子が戻る前にツヤは梅吉にこう言い残します。「ブギウギ」でも花田鈴子は自分に2人の母親がいると知っていることは悟られないようにしていました。
ちなみに「ブギウギ」ではスズ子はツヤの死に際を看取ることができましたが、実話では笠置さんはうめさんの死に際を看取ることはできませんでした。東京での上演が終わっあとの四十九日の法要になって大阪の実家に戻ったそうです。
(参考文献)