NHK朝ドラ「らんまん」で登場する槙野寿恵子(浜辺美波さん)のモデルとなった小澤寿衛子さんの死因は、当時の日本で猛威をふるっていた、結核・肺炎・腸チフス・赤痢などの感染症ではなかったのでしょうか?
小澤寿衛子さんといえば、牧野富太郎博士がその死後に発見したササの名前を「スエコザサ」という名前を送ったという美談があまりにも有名です。
練馬区立牧野記念庭園と高知県立牧野植物園のホームページでは、牧野富太郎博士の年譜として1928(昭和3)年にそのことが記載されています。
小澤寿衛子が亡くなった原因
ですがこのとき何が原因で小澤寿衛子さんが亡くなったのかについては、牧野記念庭園と牧野植物園のホームページでは言及されていません。その他インターネットのGoogle検索などで小澤寿衛子さんが亡くなった理由を探してみましたが、確たる理由は見つかりません。
そこでChat GPTを使って1920年代における日本人の最も多かった死因について質問してみるとこんな答えが返ってきました。
1920年代の日本で最も多い死因は、感染症に関連した疾患でした。当時、結核、肺炎、腸チフス、赤痢などの感染症が広く蔓延しており、多くの人々がこれらの病気によって亡くなりました。特に結核は非常に広まっており、20世紀初頭から中盤にかけて、日本全体で結核患者が増加しました。感染症の予防と治療が不十分だった時代であったため、感染症が主要な死因でした。
その他の死因としては、栄養不良や飢餓による死亡、交通事故、労働災害も一部で問題となっていました。ただし、感染症が最も多い死因であったとされています。
槙野寿恵子の死因は感染症?
確かに結核・肺炎・腸チフス・赤痢は、現在に比べて非常に危険な病気だったでしょう。子どもだけでなく、大人の命を脅かすぐらいで、当時55才の小澤寿衛子さんがかかって亡くなったとしても不思議ではありません。
そういえば「らんまん」のお話の中で、万太郎と寿恵子の最初の子どもは、麻疹(はしか)であっけなくなってしまいました。麻疹は麻疹ウイルスによって引き起こされる全身感染症です。
夫妻の子どもが感染症で亡くなっているというあらすじは、寿恵子も結核や肺炎などの感染症という亡くなるフラグだったのでしょうか。