デービット・アトキンソンさんが、「日本人の勝算」で主張したいことは、最後の第7章で述べられています。今回の著作では「成人の再教育論」です。平たくいうと「おっさんどないかせなあかん論」とも言えるでしょう。
国の制度として「成人の再教育」を
以前、書かれた「デービッド・アトキンソン 新・生産性立国論」や「デービッド・アトキンソン 新・所得倍増論」では、絶望的に無能な日本の経営者と、低すぎる最低賃金の引き上げについて言及されていました。
もっともデービッド・アトキンソンさんご自身も、小西美術工藝社という会社で社長をされていますので、国の社会政策の一環として、最低賃金を引き上げしなければならないとは主張されていません。経済政策に必要なことは「成人の再教育」であることを訴えられています。
ドラッカーも「おっさんどないかせなあかん論」
「おっさんどないかせなあかん論」自体は、決して珍しいものではありません。人間の寿命が延びている割に、産業の寿命が縮む将来を予測していたピーター・ドラッカーは何十年も前から「おっさんどないかせなあかん論」を持論として展開していました(どの著作で述べていたかは忘れた)。
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もう「おっさんどないかせなあかん論」はごまかして逃げることはできません。目を背けることは不作為に「一億総貧困化社会」に選んだことになるでしょう。すでにその現象が社会のあちこちで発生しています。
もしデービッド・アトキンソンさんがこれから本を書かれるときは、どんな産業分野に成人の再教育に関わるリソースを振り向けるべきか、そのお考えについて持論を述べてもらいたいと思います。